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坂本龍一と「静寂の思想」——音のない音楽を聴く

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「音がないこと」こそが、最も深い音楽なのかもしれない。

坂本龍一の晩年の作品群を聴いていると、そんな逆説にたどり着く。

彼が晩年に辿り着いたのは、かつてのテクノロジーの祝祭ではなく、“音が消えていく世界”だった。

ノイズと静寂のあいだに生まれる微かな呼吸。

それは、死や自然、そして人間という存在の輪郭を問い直す音楽だった。

 

 静寂は「ゼロ」ではなく、「すべての始まり」

坂本龍一にとっての静寂とは、単なる無音ではない。

それは「音楽が生まれる直前の呼吸」であり、「音が消えた後に残る余韻」でもある。

彼は繰り返し語っていた——「音楽は、音の間にある“間”こそが重要だ」と。

 

この発言は、ジョン・ケージの「4分33秒」を連想させる。

だが坂本の静寂は、ケージのような実験性というより、“死を前にしたリアリズム”に根ざしていた。

彼の静寂には、老いや病、そして終末の予感が重なっている。

それでもそこには絶望ではなく、「生きるとは何か」という問いが静かに鳴っている。

 

2017年の『async』、そして死後に公開された『12』。

どちらも耳を澄ませば、風の音や呼吸のような微かなノイズが響く。

それはピアノの音よりも確かに「生命」だった。

音楽が、音そのものを超えて「存在の痕跡」へと変わっていった瞬間である。

 

“テクノロジーの審美”から“存在の倫理”へ

1970年代後半のYMO期、坂本龍一はまさにテクノロジーの最前線にいた

電子音を操り、シーケンサーでリズムを構築し、人間と機械の共演を実現した。

だがその栄光の裏には、「人間がどこまで機械に近づくのか」という哲学的な問いが潜んでいた。

 

YMOを解散した後、彼は方向を大きく変える。

民族音楽、クラシック、アンビエント、環境音楽……

坂本龍一の関心は「音そのものの構造」から「音を聴くという行為」そのものへと移っていく。

この変化はつまり、“テクノロジーの審美”から“存在の倫理”への転換だった。

 

音をどう鳴らすかではなく、どう聴くか。

機械でどれほど完璧な音を作っても、人間の呼吸がなければそれは死んだ音になる。

だから彼は、録音スタジオの外に出て、森の中でマイクを構えた。

風の音、水の流れ、虫の声、鉄のきしみ。

そこに人間の“時間”が流れていると感じたのだろう。

音楽は、再び自然へと帰っていった。

 

病とともに——死を前にした“音の沈黙”

坂本龍一が癌と闘っていたことはよく知られている。

彼は闘病中も音を探し続けた。

2023年に残されたピアノ演奏映像『Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022』では、

音楽がまるで“祈り”のように変化していた。

演奏の合間、ピアノの音が消えた瞬間、彼の指先から「沈黙」が流れ出しているように見えた。

 

この沈黙は、死の予感と同時に「生命の肯定」でもあった。

音がなくても、音楽はそこにあった。

音を鳴らさないことで、彼は「音楽とは何か」を最後まで問い続けた。

それは、人生そのものが消えていく過程で、なお生まれ続ける“存在の証”だった。

 

「async」と「12」——断片の中の宇宙

『async』はタイトル通り「非同期」の音楽だ。

時間がズレ、リズムが解体され、旋律は流れ去る。

にもかかわらず、その全体がひとつの有機体のように呼吸している。

そこには、個と全体、生命と死、時間と空間の非対称性が溶け合っている。

 

続く『12』は、さらに静かで、透明で、祈りに近い。

12のトラックは、まるで12か月の「生の断片」を切り取ったようだ。

病室で録音されたという音は、もはや“音楽”という枠組みを超えて、

生きていることの記録になっている。

その一音一音は、沈黙の中で呼吸をしている。

 

坂本龍一の最後の音楽は、世界を音で満たすことではなく、

世界に“聴くための沈黙”を残すことだった。

それは彼なりの「音楽の終わり方」だった。

 

 “沈黙”が語りかける、これからの私たちへ

坂本龍一は最期まで「環境」や「戦争」について発言を続けた。

彼にとって音楽とは、単なる表現手段ではなく、“倫理の実践”でもあった。

音を出すことが、誰かを傷つけることになるなら、沈黙する方がいい。

その沈黙は、逃避ではなく、抵抗だった。

 

彼の静寂は「諦め」ではなく、「聴く覚悟」だ。

それは現代社会の喧騒に対する、最後の反逆でもある。

情報が溢れ、言葉が飽和し、音が暴力的に押し寄せる時代に、

坂本龍一は静かに言ったのだ——

「本当に大切な音は、聴こうとしなければ聴こえない」と。

 

終わりに——音のない音楽を聴くということ

坂本龍一が残したのは、楽譜ではなく、沈黙という教えだった。

「静寂の思想」とは、音を止めることではなく、音を“聴く姿勢”を取り戻すこと。

それは、他者を聴くこと、世界を聴くこと、そして自分自身の内なる声を聴くことに他ならない。

 

彼の音楽はもう止まった。

しかし、その沈黙の中で、私たちはようやく「音のない音楽」を聴き始めている。

風の音、都市のノイズ、誰かの呼吸。

そこに、坂本龍一の残響が、今も確かに鳴り続けている。

 

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