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村上春樹という目印——『夏帆』の発売を待ちながら

7月3日

7月3日に、村上春樹の新しい長編が出る。

『夏帆 The Tale of KAHO』。『街とその不確かな壁』から3年ぶり、16作目の長編小説。村上春樹の長編としては初めて、女性が単独の主人公になるという。26歳の絵本作家。「正直いって、君みたいな醜い相手は初めてだよ」という、初対面の男からの一言で物語が始まる。

僕はこの小説の連載を、新潮で途中まで読んでいる。2024年の6月号から始まった「夏帆」シリーズを、2回目のアリクイの話あたりまで。そこで止まっている。面白かったかと問われれば、正直に言って判断を保留している。村上春樹を読むときに僕がいつも感じる、あの独特の浮遊感はある。文章のリズムは健在だ。でもかつてのような、読みながら足元の地面が抜ける感覚——『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』や『ねじまき鳥クロニクル』を初めて読んだときの、あの底なしの落下——は、もうない。

ないのだ。それはわかっている。わかっていて、それでも7月3日を待っている。

みみずくに会いに行く

少し前に、川上未映子との対話本『みみずくは黄昏に飛び立つ』を読み返した。2017年の本だ。『騎士団長殺し』の刊行直後に行われたロングインタビューで、村上春樹が自分の創作プロセスについて、普段はほとんど語らないことを語っている。地下二階に降りていく話。意識の深い場所にあるものを汲み上げて物語にする、あの話。

なぜ今さらこの本を手に取ったのかといえば、たぶん確認したかったのだと思う。村上春樹がどうやって書いているのか、ではなく、村上春樹がなぜ書き続けているのか、を。

18キロ

2025年12月、ニューヨーク・タイムズのインタビューで、村上春樹は自分が大病を患っていたことを初めて明かした。2024年のこと。1ヶ月の入院。体重が18キロ落ちた。病名は語らなかった。マラソンを走り、食事に気を遣い、規則正しい生活を何十年も続けてきた人が、18キロ痩せるほどの病に倒れた。77歳。

そして、退院後にこの小説の大部分を書いた。

そのことを知ったとき、僕は驚いたというよりも、妙に納得した。村上春樹という人はそういう人だ。倒れても書く。書くことが回復の手段であり、同時に回復そのものでもあるような人。『みみずくは黄昏に飛び立つ』の中で彼が語っていた「地下二階」とは、つまりそういう場所なのだろう。生きることと書くことが分離しない場所。病に倒れてもなお、その場所への通路は閉ざされなかった。

初期の落下

僕は村上春樹の初期作品に強い愛着がある。『風の歌を聴け』から『世界の終り』までの、あの乾いた疾走感。ビールの匂いと夏の光と、どこにも行けない閉塞と、それでも走り続ける身体。あの頃の村上春樹には、何か切迫したものがあった。書かなければ壊れるという種類の切迫が。

今の村上春樹にそれがあるかと言われれば、たぶんない。『色彩を持たない多崎つくる』あたりから、小説の速度は明らかに変わった。『騎士団長殺し』は丁寧だったが長かった。『街とその不確かな壁』は40年前の自作への再挑戦で、そのこと自体が勇気のある試みだったけれど、あの作品を読んで心が震えたかと聞かれれば、僕は黙る。

でも、だからこそ、と思うのだ。

目印

初期の爆発力はもうない。でも村上春樹はまだ書いている。77歳で、大病の後に、初めて女性を主人公にした長編を書いた。これまでやらなかったことを、この歳になってやっている。それは「衰え」とは違う何かだ。

僕にとって村上春樹は、もう驚きを与えてくれる作家ではないのかもしれない。でも目印ではあり続けている。暗い海の向こうに灯台があって、その光が強いか弱いかはもう問題ではなくて、ただそこに灯りがあるということ。歳をとっても書き続けるということ。新しいことに手を伸ばし続けるということ。その姿勢そのものが、同じように書くことを続けている人間にとっては、一つの指針になる。

同じ道

僕も小説を書く人間だ。十作書いた。村上春樹の足元にも及ばないけれど、書き続けるという一点においては、同じ道の上にいると思いたい。そして77歳の村上春樹がまだ書いているなら、50歳の僕にやめる理由はない。

7月3日に本屋に行く。連載で途中まで読んでいた物語の、残りの部分を。判断はそれから下す。

でもたぶん、判断なんてどうでもいいのだ。村上春樹の新しい小説が出るということ。病を経て、まだ書いているということ。そのこと自体が、僕にとってはもう十分な出来事なのだから。