
2000年代の初め、インターネットはまだ荒野だった。
検索エンジンはまだ粗削りで、SNSは存在せず、プラットフォームという概念もなかった。あの頃、アイデアと時間さえあれば、個人が世界に向けて何かを発信できるという興奮があった。資本がなくても参入できた。サーバーを借りて、HTMLを書いて、ダイヤルアップの向こうに繋がるだけで、何かが始まる気がした。
あの感覚が、今、静かに戻ってきている。
プラットフォームに飲み込まれた20年
あの興奮はどこへ行ったのか。
2010年代、インターネットはGAFAに集約された。GoogleとAmazonとFacebookとAppleが、情報とコミュニケーションと商取引のほぼすべてを掌握した。個人が何かを発信するには、Twitterに投稿し、YouTubeに上げ、Amazonで売るしかなくなった。プラットフォームのルールに従い、プラットフォームの広告モデルの中で生きるしかなかった。
AIも同じ道を歩んだ。
ChatGPTが登場したとき、多くの人は「すごい」と思った。しかし冷静に見れば、OpenAIのサーバーで動き、OpenAIの利用規約に縛られ、使うたびに課金される。データは外に出る。サービスが終われば終わる。メインフレームの時代と構造は変わっていない。資本を持つ者が知性を管理し、個人はそれを借りる側に回る。
そのモデルが、今、崩れ始めている。
8GBのMacで、世界が変わった
私はいま、M2チップのMacBook、メモリ8GB、という決して高スペックではないマシンで、AIを使ったウェブサービスを開発・運営している。
使っているのはGemma4というAIモデルだ。Googleが開発し、無償で公開されているこのモデルは、Ollamaというソフトウェアを介して、自分のMacの中で動く。クラウドに繋がない。データは外に出ない。使うたびに課金されない。かかるのは電気代だけだ。
開発の相棒はClaude Codeだ。Anthropicが提供するこのツールは、コードを書くAIアシスタントとして機能する。私はプログラミングの専門家ではないが、Claude Codeと対話しながら、ウェブサービスの設計から実装まで進めることができた。
その結果生まれたのが、ノベルランクというサービスだ。小説をAIが評価し、スコアとともに詳細な講評を返す。投稿された作品はランキングとして並び、相対的な位置が見える。資金調達はしていない。チームもいない。月にかかるコストはサーバー代だけで、AIの処理は自分のMacが担っている。
これは5年前には不可能だった。
ローカルLLMという思想
ローカルLLMという言葉がある。クラウドではなく、手元のマシンで動くAIモデルのことだ。
技術的な話をすれば、Gemma4やLlamaやQwenといったモデルが、今や個人のパソコンで動く水準に達した。数年前まで、高性能なAIはデータセンターの膨大な計算資源を必要とした。それが今、家庭用のMacで動く。これはパーソナルコンピューターの登場に匹敵する変化だと、私は思っている。
コンピューターがメインフレームからパーソナルコンピューターへと移行したとき、計算能力が個人に解放された。インターネットが登場したとき、情報発信が個人に解放された。そして今、AIがローカルで動くようになったとき、知的処理能力が個人に解放されようとしている。
APIに依存しない。プラットフォームの利用規約に縛られない。データを外に渡さない。サービスが終わっても手元のモデルは残る。これは単なる技術の話ではなく、主体性の問題だ。自分の道具を自分で持つ、という原則の話だ。
コードがわからなくても、できる
誤解されがちなことがある。
ローカルLLMやClaude Codeを使った開発は、プログラミングの専門家だけのものではない。私はICT支援の仕事をしながら小説を書いてきた人間で、ソフトウェアエンジニアではない。それでもウェブサービスを作れた。
重要なのはコードが書けるかどうかではなく、何を作りたいかを持っているかどうかだ。
AIと対話しながら開発を進めるとき、必要なのはアイデアの明確さと、何がおかしいかを判断する感覚だ。コードの細部はAIが書く。人間がやるのは、方向を決め、結果を評価し、次の一手を考えることだ。これはプログラミングというより、編集に近い作業だ。
自分でサービスを作ることができると知らない人が、まだたくさんいる。でもできる。8GBのMacと、アイデアと、少しの時間があれば。
退行の中に、前進がある
トランプ政権の登場を、多くの人が退行と見た。私もそう思っていた。しかし別の見方もできる。前に進むとき、一度後ろに退かなければならないことがある。集中したものが解体され、再び分散する。その痛みの中に、次の時代の種がある。
インターネットの歴史も同じだった。プラットフォームへの集中は、今や限界を見せている。広告モデルへの不信、プライバシーへの懸念、アルゴリズムへの疲弊。その反動として、分散型の技術や、自分でコントロールできる環境への関心が高まっている。
ローカルLLMはその文脈の中に位置する。
資本主義が終わるとは言わない。しかし、資本がなければ知性にアクセスできないという前提は、崩れつつある。Gemma4は無償で使える。Claude Codeは開発を民主化する。電気代だけで、AIを動かしたウェブサービスが作れる。
2000年代の荒野が、形を変えて戻ってきた。
あの頃と違うのは、道具がはるかに強力になっていることだ。そしてあの頃と同じなのは、アイデアを持つ個人が、もう一度、主役になれるかもしれないという予感だ。