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カルチャー横断ブログメディア「UZ」

「君たちはどう生きるか」は結局何だったのか——宮崎駿が“説明しない”ことを選んだ理由

「意味がわからなかった」という感想が、あれほど均質に広がった映画を、私は他に知らない。 2023年の夏、宮崎駿の新作「君たちはどう生きるか」が公開されたとき、SNSは奇妙な静けさと混乱に満ちた。事前情報がほぼゼロだったことも影響しているが、それ以…

サカナクション「いらない」——否定形で告白される、過去への愛

山口一郎はずっと80年代を引きずってきた。 シンセの音色、ニューウェーブの残響、ダンスミュージックの皮膚感覚。サカナクションの音楽にはつねに、すでに終わった時代の匂いが混じっている。私はそれを、批評的な文脈で「退行」と呼んできた。過去に帰還す…

フィクションが現実を超える真実——物語はなぜ「生まれる」のか

村上春樹の最高傑作『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』には、壁に囲まれた街が登場する。影を奪われた人々が静かに暮らすその街は、読者の記憶に深く刻まれる。ある種の既視感とともに。ところでこの「壁に囲まれた街」にはモデルがあったので…

MacBook neoが欲しい——iPhoneチップで動くMacが問いかけるもの

2026年3月4日、Appleは「MacBook neo」を発表した。価格は599ドル(教育機関向けは499ドル)。これはAppleが過去10年以上にわたってほぼ固守してきた「Macは999ドル以上」という不文律を、ほぼ半額で打ち破る宣言だった。 正直に言う。欲しい。 ガジェットへ…

フランシス・フォード・コッポラ『メガロポリス』——資本主義の先にユートピアを見ること

フランシス・フォード・コッポラが自己資金1億2000万ドルを投じて完成させた『メガロポリス』(2024)は、興行的に壊滅し、批評的に分裂した。北米興行収入は製作費の12%にも満たず、ラジー賞まで贈られた。だがそのことは、この映画が傑作であるという事実…

対話する創造——AIと共に小説を書くということ

小説を書くとき、最も孤独な瞬間はどこにあるか。それは白紙に向かう瞬間ではない。書き上がった文章を自分一人で読み返す、あの沈黙の中にある。書いた自分と読む自分が同一人物である限り、盲点は盲点のまま残り続ける。誰かに読ませたい。でもまだ見せら…

血より濃いもの―『セッション』と『ニュー・シネマ・パラダイス』が教えること

映画において、最も強烈な人間関係は、たいてい血縁の外にある。 師弟。戦友。同志。名前のつけられない関係。それらは「血縁を超えた絆」などと呼ばれることがある。しかしその言い方自体がおかしいのではないか。「超えた」という表現は、血縁が本来の関係…

村上龍と「殴れる時代」の終焉──暴力はアンビエントになった

はじめに──破壊が意味を持っていた時代 1980年、村上龍は『コインロッカー・ベイビーズ』を世に放った。 コインロッカーに捨てられた二人の少年、ハシとキク。彼らが求めたのは「ダチュラ」——すべてを破壊する音だった。東京という巨大な工業都市を、音で、…